ひとりごと

永遠のヤス。

差別の話

選択する限り、何らかの基準で優劣を想定せざるを得ません。それが差別の本質でしょう。だから差別は無くなるわけがないし、無くなるべきでもない。

 

被差別側の不満が蓄積して、暴動になって鎮圧コストがほかの差別よりも高コストであるか、とか、差別者の想定している優劣と現実の優劣との乖離が大きすぎることによって社会の運営効率が著しく落ちるとかによって、社会的にそれが、やってはいけないものとなったり、ならなかったりしてるだけでしょう。国内の政治によって決まることもあるし、国力が低下して外圧で決まることもあるでしょう。

 

なので、差別=悪という発想は、単純に間違ってます。差別に善悪はない。いや、差別=悪だというのなら、あらゆる選択を放棄して何も考えずに生きないと、論理に一貫性がありません。(そういうつもりなら悪と言ってよいでしょう。)

 

念仏のように"差別、差別"って言ってる人、世の中に多くないですか。そこに選択がある限り何らかの差別が取り払われたときには、別の差別が発生します。

 

ときには、新たな基準が発明されて差別が生まれます。IQテストが発明され、血液型が発明され、精神病が発明され、遺伝子が発明され、ただそれだけの話。遺伝子差別は近いうちに実現しそうですね。結婚する前に、就職する前に、遺伝子検査してください、って話になるかも知れません。劣勢遺伝子を持つ人間は裁判官になれない、とかそういう時代が来てもおかしくないです。

 

しばらくは合理的に見えるのですが、必ず現実との乖離が生まれてきます。例えば、優秀な人間を集めようとしてIQテストをやると、優秀な人間ではなくてIQテストが得意な人間が集まります。また例えば遺伝子によらない遺伝の仕組みが、最近の生物学では発見されていますし、新たにより合理的な選定基準が発明されるのも時間の問題でしょう。そのときには、"今までの価値観が差別だったことが気づかれてる”はずです。遺伝子によって人間が見極められる、という発想自体も一つの哲学でしかないのに、それが科学によって、権力によってリアリティを持たされてしまう。

 

そりゃ、差別されて見くびられてたらムカつきますし、それで実害が発生することもありますけどね、仕方ないですよね。だって、差別する側の知力には限界がありますし、自分による自分の評価だってどれくらい正しいのか謎です。

 

特定の差別をなくす運動をやるのも自由ですけど、別の被差別者が新たに発明されるわけですからね、社会の効率を少し良くして、自分の扱いを改善する意味はありますが、差別をなくすことそのものの正義は構造的に存在し得無いということです。

 

何が言いたいかというと、"普通"差別の話に意味があるとしたら、倫理的な善悪の部分ではなく社会的な損得の部分なのです。

 

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とまあ久しぶりに真面目な長文を書いてみたので内容のクオリティは謎。