芸術作品を破壊してはいけない理屈がわからない。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2206/09/news209.html
私有財産・市場価値・歴史資料的価値を守ろうとかそういう話でしかないが、
それは芸術の理屈ではない。
というか、
芸術作品は破壊できるのか?
破壊されたという結果も含めて、
芸術作品ではないのか?
(あるいはこれから修復する、あるいは修復しない、という経過も含め。)
例えば、
(基本的には)歌は誰かに聴かれることで初めて意味を成す。
誰かがそれを聴く(歌う)ことでその心身に作用する。
それが芸術作品であるう。
作用が作品に織り込まれている。
CDや楽譜や録音データなどは本質ではない。
例えばこのケースでは、
歴史的結果として破損していることも含めて意味があるとされてるんだろう。
例えばこのケースでは、
破損したものを修復することで創作が行われている。
細川三斎の茶 その5 茶碗 瀬戸「よびつぎ」 珠光天目 黒楽「おとごぜ」 (永青文庫) : 茶の湯とは…
もうちょっとわかりやすい例を出そう。
例えば、
プーチンを批判する風刺画を描いたとしよう。
それをプーチンに送りつけたところ、
プーチンによってビリビリにヤブられたとしよう。
それは作品としては"成功"している。
だって、そのために描いたんだろうから。
いや、例えば、
素材選びの段階で、
岩で作ることも、氷で作ることもできるわけである。
版画なら何枚も刷れるし、
デジタルならコピーすれば良い。
作品の強度は作品の一部であって、
創作の意図が反映されているので、
そういう意味でも、いわば作者の自己責任である。
私の考えでは、
損害賠償がどうのこうの、
マナーがどうのこうのというのは、
むしろ 芸術をニゴらせる 発想だと思う。
もちろん、そういう考え方をするのはその人の自由ではある。
が、それは 大衆の発想 だということは指摘しておく。
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これくらいでも充分なんだけど、
今回はもう一段、深い話をしてみよう。
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「その人の自由」と上に書いたが、
本当は「自由」ではないと私は思ってる。
例えばだ、
親が金持ちだと遺産が相続できるが、
親が貧乏だとお金はもらえない。
これはオカシイ話ではないか?
なんでそんな不公平な話が許されるのか?
これをあなたがオカシイと考えないのはなぜか?
それは教育=洗脳されているからである。
遺産は国家で一律徴収して、他の国民に分配すべきであろう。
遺産相続は窃盗行為であるとも言える。
大衆の発想 と私が書いたのはそういう意味である。
支配者に都合が良いように制度設計され、
それを当然のもの・正しいものとして教育されているのだ。
それは人々が自由にものを考えた結果ではないのだ。
今回の、芸術作品を破壊するのは悪いことだ、という考えは、
本来オカシイことかも知れないのだ。
その作品を作るために、
木を破壊する、空間を破壊する、などの破壊行為が行われているだろう。
なんでそれが許されて、
これが許されないのか?
このような基準は究極的に理由など無いし、
革命などで一夜にして変わる程度の価値観なのである。
(中国が共産主義に染まった時、突然、金持ちは死刑になった。
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まさに、そういった価値観について問うことが、
芸術の一つの役割であろう。
近年話題のバンクシーは壁に勝手に絵を描くわけだ。
これは明らかな違法行為。
なぜそれは称賛される?
社会一般の常識で測ってはイケナイのです。