この映画で監督が伝えようとしていることは全然別のところあるかも知れない。
どういうことか説明します。
例えば、最後、学校のシーンがあります。
学校というのは教育のためにあるのであって、
年寄りの恋愛のためにあるのではありません。
思い出のために1日だけ学校ごっこをやっても、
限りなく無意味です。
この娘は自分は全然勉強しないのに、
都会から来た教師にテンションが上がってます。
もしこの映画の主題が恋愛だったら、
少女は"勉強的なこと"をきっかけに教師と仲良くなるはずです。
しかし、水くみだの待ち伏せだの食事だの、
脇からアプローチします。
教師という仕事を本質的に認める意識が一切ありません。
最後も「聞き飽きない声だった」とか、
ズレた?着眼点で好んでおり、
教師という職業への尊敬の意識がありません。
実はこの教師は教科書に書いてないことを自分で教えていたのに、
そういうところに妻は意識がいってない?ようです。
前の記事で書いた同じ監督の映画、
「活きる」で言うと、
病院なのに医者がいないっていうエピソードと似てませんか?
つまり、
本来、国民の幸福のためにあるはずなのに、
実際にはその国民の幸福をないがしろにする結果になっている!
みたいなそういう話がしたいのかも知れません。
でも、それ系の方向性で読み取らないと、
文芸映画としては話が甘っちょろすぎる。
そのまま観たらただの少女漫画?みたいになっちゃうし、
現実の夫婦生活の大変さみたいなのが全く見えないこととかが説明できない。
あんな恋愛モードのまま長い夫婦生活を過ごせるとは思えない。
つまり、
この監督は、
ヒロイン=過去の中国を、
美しくも悪しきものとして軽蔑してもいるとかだと思います。
いや知らんけど。
教師は「文化人」と言われてました。
それを理解しない妻。
中国という国は"別"の文化を理解しない、、、
文化大革命批判なんでしょうね。
ピンクの服から赤い服に変えたじゃないですか?
あれも共産主義の話でしょうね。
「理由はわからないけど赤(=共産主義)が良いと言われたから赤を着る、
それが中国人だ!」という監督による批判でしょう。
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大衆?が観ても、インテリ?が観ても、楽しめる、
二重構造になってる。
ちゃんと表面上は純愛映画になってる。
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それとも私がちゃんと観れてないだけか?
まあ、めっちゃ真剣に観たわけではない。