1963年、初代ジャニーズのエピソード。
「小学生から高校生をふくめて14人もが、ジャニーの被害にあった」
この時、ジャニーズ事務所は無く、
名和新芸能学院にジャニーズというグループが所属し、
それをナベプロが仕事の仲介をするという形。
ジャニー喜多川は車でメンバーの送迎を担当。
このあと、ジャニーズはナベプロ所属に。
当時最強の芸能事務所だったナベプロの圧力で、報道は沈黙。
ナベプロの権力が強かったのは、
スタータレントを多く抱えていたことと、
番組自体を自社制作してヒットしていたため、
逆らえる人がいなかったことが要因のようです。
ヤクザはむしろ、芸能人の助っ人として登場したらしい。
ナベプロがあまりにも芸能人を搾取していた(低額の月給制)ので、
芸能人がヤクザ事務所に助けてもらおうとした。
ナベプロ所属時代の森進一のマネージャーがジャニー喜多川だったらしいです。
森進一はこの後、ナベプロから独立(移籍)するために、
暴力団傘下の芸能事務所を頼ります。
それを仲裁したのが後に総理にもなる中曽根康弘。
以上、1968年に書かれた「タレント帝国」という本からの抜粋でした。
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ただし、使いにくい。
登録に5営業日くらいかかる。
パソコンを閉じると再ログインを要求される。